鳥居忠政
鳥居忠政(とりいただまさ)(1566年~1628年)は、江戸時代初期の譜代大名で、徳川家康に仕えた父・鳥居元忠の後を継いで徳川家の重要な家臣となりました。小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いで活躍し、家康からの信頼を得て1600年に下総矢作藩の藩主に任じられました。その後、1602年に磐城平藩10万石、1622年には出羽国山形藩22万石に加増され、山形藩の藩主に転封されました。 山形では、忠政は山形城の大規模改修を行い、寺院の配置や検地を実施するなど、領内のインフラ整備にも尽力しました。さらに、馬見ヶ崎川の流路を変更し、治水対策を講じることで農地の安定化を図りました。しかし、忠政には男子がなく、彼の死後は徳川家の意向で保科正之が山形藩主に転任しました。忠政の治世は、徳川幕府の基盤整備と山形藩の統治基盤の構築に貢献し、現在の山形城の原型を築きました。