伊達宗敦
伊達宗敦(だて むねあつ)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した武士であり、仙台藩の知藩事を務めました。1852年、伊予国宇和島藩主・伊達宗城の次男として生まれ、幼名を経丸と称しました。1868年、仙台藩主・伊達慶邦の養子となり、従四位下・侍従・左京大夫に叙任されました。同年、奥羽列藩同盟に参加したため、新政府から官位を剥奪され、廃嫡となりました。 その後、謹慎を解かれ、1870年に仙台藩知事に任命され、藩政の指揮を執りました。1871年の廃藩置県により知藩事を退任し、同年10月にはイギリスへの留学許可を得て、語学修学を目的に5年間の自費留学を予定しましたが、1875年2月に帰国しました。1884年、華族となり、新たに家を興し、1888年には男爵に叙されました。1890年から3期連続で貴族院男爵議員を務め、1911年に58歳で死去しました。