1692年(今から333年前)
白河騒動(しらかわそうどう)は、
江戸時代中期の
1692年(元禄5年)に
陸奥国白河藩で発生したお家騒動です。藩主・
松平忠弘(まつだいら ただひろ)の後継者問題が原因で、
家臣団が二派に分かれて対立しました。忠弘の長男・
鶴千代(後の
主税清照)は夭折し、次女・
長福姫の婿養子として
松平乗守(まつだいら じょうしゅ)を迎えましたが、その子・
仙千代も夭折し、
長福姫も半年後に死去しました。このため、家督継承が不安定となり、
家臣団は忠弘の孫である
斎宮(後の左膳忠雅)を支持する派と、
乗守を支持する派に分かれました。最終的に、幕府は家老二名を遠島流罪とし、忠弘は
10万石に減封の上、
山形藩に転封となりました。この騒動は、藩主の後継者問題が
家臣団の分裂を招き、幕府の介入を招いた典型的なお家騒動として知られています。