松平直致
松平直致(まつだいらなおむね)は、江戸時代末期から明治時代にかけての明石藩第10代(最後の)藩主です。1849年に松平慶憲の長男として江戸藩邸で生まれ、幼名を薫次郎としました。1861年に元服し、父から「直致」と命名されました。幕末には幕府軍として鳥羽・伏見の戦いに参戦しましたが、その後は新政府に恭順し、家中の存続を図りました。 明治2年(1869年)には版籍奉還により知藩事となり、藩の近代化を推進。藩校「敬義館」を開設し、教育に力を入れました。しかし、明治4年(1871年)に廃藩置県により知藩事職を失い、その後は東京に移り住みました。直致は1884年に隠居し、弟の松平直徳が家督を継ぎました。同年に35歳で亡くなり、短い人生ながらも時代の変革期を生き抜いた藩主でした。