7世紀 - 1869年(分割)
陸奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つで、東山道に属していました。その領域は現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県、および秋田県の一部(鹿角郡)に相当し、広大な面積を持つ大国でした。当初は「道奥(みちのおく)」と呼ばれ、後に「陸奥(みちのく)」、さらに「陸奥(むつ)」と変遷しました。国府は現在の宮城県多賀城市に置かれ、多賀城跡としてその遺構が残されています。一宮は鹽竈神社(宮城県塩竈市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。陸奥国は蝦夷との接点に位置し、軍事的・政治的に重要な地域でした。平安時代には奥州藤原氏が平泉を拠点に繁栄し、独自の文化を築きました。しかし、1189年に源頼朝の攻撃を受けて滅亡しました。明治元年(1869年)1月19日、戊辰戦争後の処分により、陸奥国は陸奥国(りくおうのくに)、陸中国、陸前国、岩代国、磐城国の5国に分割されました。その後、1871年の廃藩置県により、これらの地域は現在の各県に再編されました。