内藤正友
内藤正友(ないとうまさとも)は、江戸時代前期から中期にかけての大名であり、武蔵国赤沼藩の第2代藩主で、後に信濃国岩村田藩の初代藩主となりました。1663年に赤沼藩初代藩主内藤正勝の長男として生まれ、元禄7年(1694年)に父の死去に伴い家督を継ぎました。 内藤正友は元禄16年(1703年)に大坂定番としての任務を経て、知行地を信濃国岩村田に移転しました。移封後、領内統治を強化するために全37か条の法度を定めるなど、藩の運営に尽力しました。1711年に49歳で死去し、家督は次男の内藤正敬が継ぎました。 内藤正友の治世は、藩の法整備と統治の基盤を築く時期として評価されています。