1613年(今から412年前)
最上騒動(もがみそうどう)は、
江戸時代初期の
1613年から
1622年にかけて、
出羽山形藩の
最上家で発生したお家騒動です。初代藩主・
最上義光(もがみ よしあき)の死後、
家督を継いだ次男・
家親(いえちか)とその子・
家信(いえのぶ)の代に、
一族や家臣団の間で深刻な対立が生じました。義光の長男・
義康(よしかつ)は、父との不和から廃嫡され、次男の家親が家督を継ぎましたが、家親の急死後、幼少の
家信が藩主となりました。これにより、義光の四男・
山野辺義忠(やまのべ よしただ)を擁立しようとする派閥と、家信を支持する派閥との間で激しい内紛が起こりました。最終的に、幕府は元和8年(1622年)に
最上家を改易し、
山形藩は
鳥居忠政(とりい ただまさ)が治めることとなりました。この騒動は、一族間の権力争いが藩全体を巻き込み、幕府の介入を招いた典型的なお家騒動として知られています。