1123年-1160年(満37歳没)
源義朝(みなもと の よしとも)は、平安時代後期の武将で、河内源氏の六代目棟梁です。父である
源為義の長男として生まれ、幼少期に東国へ下向し、相模国を拠点に在地の豪族たちを統率して強大な勢力を築きました。1156年の
保元の乱では後白河天皇側に立って戦い、平清盛と共に功績を挙げ、朝廷から
左馬頭の官位を受けました。しかしその後、1159年の
平治の乱で藤原信頼と共に平家に対抗して挙兵するも敗北し、尾張国で家人の長田忠致に裏切られ、入浴中に襲撃され命を落としました。享年37歳。義朝は志半ばで倒れましたが、彼の遺児である
源頼朝が後に鎌倉幕府を開くことで、義朝の夢であった武士の政権を実現させました。義朝の生涯は、後の武士社会の形成に大きな影響を与え、その名は今も歴史に刻まれています。