土岐頼殷
土岐頼殷(とき よりたか)は、江戸時代前期から中期にかけての大名で、出羽国上山藩第2代藩主、のちに越前国野岡藩、さらに駿河国田中藩初代藩主を務めました。1641年に土岐頼行の次男として生まれ、延宝6年(1678年)に兄の土岐頼長の跡を継ぎ、上山藩主となりました。元禄4年(1691年)には大坂城代に任じられ、これにより1万石を加増され、領地を3万5,000石に増やしました。 翌年、越前国野岡藩に転封され、元禄5年(1692年)から20年間その地を治めた後、正徳2年(1712年)には駿河国田中藩に移り、引き続き藩政を担いました。藩主としては行政や財政管理において功績を挙げ、幕府の命に従い藩政を維持しましたが、正徳3年(1713年)に隠居し、家督を嫡男の土岐頼稔に譲りました。頼殷は1722年に81歳で没し、墓所は品川の東海寺にあります。 頼殷の生涯は、転封を繰り返しながらも各地で忠実に藩主としての務めを果たし、幕府の信任を得た大名として評価されています。