上有知藩
上有知藩(こうずちはん)は、江戸時代に存在した藩で、美濃国(現在の岐阜県美濃市)に位置していました。藩庁は鉈尾山城(なたおやまじょう)に置かれ、後に小倉山城に移されました。藩の成立は豊臣政権時代の1598年で、初代藩主は佐藤秀方です。秀方は2万5,000石を与えられましたが、彼の子方政は関ヶ原の戦いで西軍に加担し、戦後に改易されました。 その後、方政の叔父である金森長近が東軍に与し、戦功を挙げたことで上有知の領地を得て、2万石を与えられました。長近は鉈尾山城に入城し、上有知の殖産興業を推進しましたが、慶長16年(1611年)に彼の子長光が夭逝したため、藩は短命に終わりました。上有知藩はその後、幕府の天領となり、1615年からは尾張藩領に編入されました。 上有知藩の歴史は、短いながらも地域の発展に寄与し、文化的な影響を残しています。また、藩の跡地や城跡は、今も訪れる人々に地域の歴史を伝えています。