1159年([years_ago]1159[/years_ago])
平治の乱(へいじのらん)は、
平安時代末期の
1159年(平治元年)に発生した内乱で、
後白河上皇の近臣間での権力争いが背景にあります。この乱では、
平清盛と
源義朝が対立し、保元の乱(1156年)に続く形で武士の勢力が大きく動きました。清盛は
藤原通憲と結び、
貴族社会への影響力を強めようとし、義朝は
藤原信頼と協力してこれに対抗しました。戦闘は京都市内で行われ、義朝は敗北し、
伊豆に落ち延びようとするも討ち取られ、その子である
源頼朝が流罪となりました。この乱によって
平清盛が権力を掌握し、
平氏政権が確立され、貴族社会に対して武士が台頭する時代の始まりとなりました。平治の乱は、その後の
源平合戦(治承・寿永の乱)への布石ともなり、
武家政権の形成に大きく寄与した日本史の重要な転換点として位置づけられています。