ざっくり簡単解説!観応の擾乱とは?

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)は、南北朝時代の1350年から1352年にかけて、室町幕府の内部で起こった大規模な内紛です。この擾乱は、初代将軍足利尊氏と、その弟であり幕府の重鎮であった足利直義の対立から始まりました。幕府内部での権力闘争が激化し、最終的には全国的な内戦に発展しました。

直義は、幕府の内政を担当し、尊氏を支える副将軍的な立場にありましたが、尊氏の側近である高師直との対立が深まりました。師直は、尊氏の軍事面での支持を得て勢力を拡大しており、直義とその支持者との間で深刻な対立が生まれていきます。この権力争いは、尊氏と直義自身の対立に発展し、直義派と師直派の間で全国的な戦乱となりました。

擾乱の結果、1351年に直義は一時的に権力を握りますが、翌年、尊氏は逆襲に成功し、直義派は敗北しました。直義は失脚し、最終的には1352年に急死します。この急死には毒殺の疑いがあり、直義派は完全に壊滅しました。

観応の擾乱は、室町幕府の内部での権力闘争を表し、幕府がまだ安定した統治体制を確立できていなかったことを示す事件です。この擾乱により、幕府の力が弱体化し、南北朝の動乱はさらに長引くことになりました。

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