1322年-1380年(満58歳没)
光明天皇(こうみょうてんのう)は、南北朝時代の北朝第2代天皇です。後伏見天皇の第九皇子として生まれ、諱は豊仁(とよひと)といいます。1336年、足利尊氏の擁立により即位しましたが、実際の政務は兄である光厳上皇の院政下で行われました。在位中、南朝との対立が続き、1348年に崇光天皇へ譲位しました。その後、南朝との和睦や捕縛を経て、仏門に入り、晩年は仏道修行に専念しました。1380年、大和国長谷寺で崩御し、享年58歳でした。ざっくり簡単解説!新田義貞とは?
新田義貞(にった よしさだ)は、鎌倉幕府を倒すために大きな役割を果たした武将であり、後醍醐天皇の忠臣として知られています。新田義貞は、1333年に鎌倉幕府打倒を目指して挙兵し、鎌倉攻めで勝利を収め、鎌倉幕府の滅亡に貢献しました。特に、鎌倉攻めでの奮闘が評価され、後醍醐天皇から厚く信頼されることとなりました。
その後、義貞は後醍醐天皇のもとで建武の新政を支えましたが、足利尊氏との対立が深まり、内戦状態へと突入します。1336年の湊川の戦いでは、楠木正成と共に足利尊氏の軍と戦いましたが、尊氏の圧倒的な軍勢に押され、敗北を喫しました。
義貞はその後も南朝のために戦い続けましたが、最後は1338年に越前国藤島(現在の福井県)で戦死しました。義貞の忠誠心と勇敢さは後世に語り継がれ、特に鎌倉幕府を倒した功績や湊川の戦いでの奮戦は、日本史において重要な出来事となっています。
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