1565年([years_ago]1565[/years_ago])
永禄の変(えいろくのへん)は、室町幕府第13代将軍・足利義輝が、1565年5月19日(永禄8年5月19日)に京都の二条御所で、三好義継や松永久通らの軍勢によって襲撃され、殺害された事件です。この事件は、室町幕府の権威が大きく揺らぐ契機となり、戦国時代の混乱をさらに深めました。義輝は剣豪将軍として知られ、剣術の達人であったものの、多勢に無勢で討ち死にしました。この事件の背景には、三好氏の勢力拡大や、幕府内の権力闘争がありました。永禄の変後、幕府の実権は三好氏や松永久秀らに握られ、将軍の権威は失墜しました。その後、足利義昭が第15代将軍として擁立されますが、織田信長との関係悪化により、最終的に室町幕府は滅亡へと向かいました。永禄の変は、戦国時代の権力構造の変遷を象徴する重要な出来事として、日本史に深く刻まれています。ざっくり簡単解説!足利義材とは?
足利義材(あしかが よしき/よしきよ)は、室町幕府の第10代将軍であり、9代将軍足利義尚の従兄弟にあたります。1490年、義尚の早世を受けて将軍職に就任しました。彼の治世は、既に室町幕府の力が衰退しており、地方の大名たちが勢力を拡大する時期に重なりました。
義材は、幕府の権威を回復しようと試みましたが、中央での権力争いや地方大名との対立に苦しみました。特に、強力な大名であった細川政元との対立が激化し、1493年に明応の政変が勃発。義材は将軍職を追われ、幽閉されてしまいます。その後も彼は政治的な復権を目指し、1508年に一時的に将軍職に復帰しましたが、再び失脚し、その後の室町幕府における影響力は大きく低下しました。
義材の治世は、幕府の衰退と戦国時代の到来を象徴する時期であり、幕府の権威を維持することが難しい時代に将軍として苦悩しました。
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