ざっくり簡単解説!伊達綱宗とは?
1640年-1711年(満72歳没)
伊達綱宗(だて つなむね)は、江戸時代初期の仙台藩第3代藩主です。1640年、伊達忠宗の嫡男として生まれ、幼少期から藩主としての教育を受けました。1660年に父の死去により家督を継ぎ、仙台藩62万石を治めました。
しかし、綱宗の治世は問題が多く、酒色に溺れたとされ、家臣団の間で不安が高まりました。その結果、1660年、幕府の介入により隠居を命じられ、僅か20歳で藩主の座を退きました。綱宗の後任には、幼い息子である伊達綱村が据えられましたが、実権は叔父の伊達宗勝らが補佐しました。
隠居後の綱宗は「信隆」と号し、以後は表舞台に立つことなく余生を過ごしました。隠居生活では文化活動に励み、和歌や茶道に親しんだと伝えられています。1711年に72歳で亡くなり、仙台藩の複雑な家督問題は後の世代に影響を与え、藩の統治や家中の力関係に変化をもたらしました。
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