ざっくり簡単解説!近松行重とは?

近松行重(ちかまつ ゆきしげ)は、江戸時代前期の武士で、赤穂浪士四十七士の一人として知られています。通称は勘六(かんろく)。寛文10年(1670年)に、近松行生の子として生まれ、赤穂藩主・浅野長矩に仕え、馬廻役として250石を知行していました。

元禄14年(1701年)、主君・浅野長矩が吉良義央に刃傷に及び、切腹を命じられ、赤穂藩は改易となりました。行重は高野山へ登り、浅野長矩の碑を建立しています。その後、近江国に隠れ住み、大石良雄らと連絡を取り合い、吉良邸討ち入りの際には表門隊に属しました。討ち入り後、熊本藩主・細川綱利の屋敷にお預けとなり、1703年に切腹しました。享年34。墓所は泉岳寺にあります。

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