ざっくり簡単解説!正嘉の飢饉とは?
正嘉の飢饉(しょうかのききん)は、鎌倉時代中期の正嘉年間(1257年〜1259年)に発生した大規模な飢饉です。1258年(正嘉2年)6月の長雨とその後の冷夏、さらに8月10日の大型台風の影響で、全国的に大凶作となりました。
この飢饉により、平安京では人々が餓死し、疫病も流行しました。また、領民の逃亡や餓死が相次ぎ、年貢の徴収や公事の停滞が各地で発生しました。
影響はその後も長引き、1261年(弘長元年)10月には、武蔵国豊嶋郡江戸郷内の前嶋村で領民が不在となり、公事を負担できなくなる事態も生じました。
このような状況下で、日蓮は「立正安国論」を著し、国土の安寧を訴えました。
また、1257年の大地震(正嘉地震)も含め、災害が続発したため、1259年に元号が正元へ改元されました。
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