ざっくり簡単解説!徳川秀忠とは?
徳川秀忠(とくがわ ひでただ)は、江戸幕府第2代将軍で、初代将軍徳川家康の三男として1579年に生まれました。母は西郷局で、幼少期から家康の後継者として育てられました。
1600年の関ヶ原の戦いでは、家康の命により中山道を進軍しましたが、遅参したため戦闘には直接参加できませんでした。しかし、このことで家康の信頼を失うことはなく、1605年に将軍職を譲られました。秀忠の治世では、武家諸法度や禁中並公家諸法度が制定され、幕府の法制度が整備され、江戸幕府の基盤がより強固なものとなりました。
また、1615年の大坂の陣では豊臣氏を滅ぼし、徳川家による天下統一を完成させました。秀忠は学問や文化を奨励し、儒学者林羅山を登用して儒教思想を広めました。1632年に54歳で亡くなり、遺体は日光東照宮に葬られました。
秀忠の治世は、江戸幕府の安定と支配体制の確立に大きく寄与しました。
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