ざっくり簡単解説!藤原忠文とは?

藤原忠文(ふじわら の ただぶみ)は、平安時代中期の公卿で、征夷大将軍としても知られています。貞観15年(873年)に生まれ、父は参議・藤原枝良です。延喜4年(904年)に従五位下に叙せられ、左馬頭や右近衛少将などを歴任し、武官としての地位を築きました。その後、摂津守や丹波守、大和守といった国司も務めました。

天慶2年(939年)、関東で平将門の乱が勃発すると、68歳で征東大将軍に任命されましたが、現地到着前に将門が討たれたため、忠文の軍功はありませんでした。翌年には藤原純友の乱に対応するため征西大将軍に任命されましたが、この乱も他の武将により鎮圧され、忠文自身の成果は限定的でした。

忠文はその後、民部卿を兼任し、天暦元年(947年)に75歳で薨去しました。死後、正三位・中納言が追贈されています。忠文は、特に68歳での将軍職就任が異例の高齢であったことで知られています。

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