ざっくり簡単解説!蒔田広定とは?
蒔田広定(まいた ひろさだ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将であり、大名です。尾張国織津(現在の愛知県)に生まれ、父は蒔田広光です。豊臣秀吉に仕え、小姓頭の一人として活躍しました。父の死後、伊勢国雲出(現在の三重県津市)に1万石を領し、雲出藩主となりました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に与し、伊勢口や大坂本町筋橋の警固を担当しました。しかし、西軍の敗北後、高野山に逃れて蟄居し、所領を没収されました。その後、徳川家康の許しを得て、備中国浅尾(現在の岡山県総社市)に1万石を与えられ、浅尾藩を立藩しました。
元和元年(1615年)の大坂の陣では徳川方として従軍し、戦後は徳川秀忠の御伽衆に加えられました。寛永13年(1636年)に死去し、享年66でした。
広定は、茶人としても知られ、千利休の介錯を務めたと伝えられています。また、書状などの文化財も残されており、その筆跡は現在も慶應義塾大学の所蔵品として確認できます。
- 最終更新日: