ざっくり簡単解説!森忠興とは?

森忠興(もり ただおき)は、江戸時代中期の大名であり、播磨国赤穂藩の第6代藩主を務めました。宝暦2年(1752年)1月3日、第5代藩主・森忠洪の長男として生まれ、幼名を豊之助と称しました。明和6年(1769年)7月23日、父の隠居に伴い家督を継ぎ、同年12月18日に従五位下・山城守に叙位・任官されました。

忠興は父の政治路線を受け継ぎ、文学の発展に尽力しました。特に、藩校博文館の設立に関与し、藩士や領民の教育に力を注ぎました。しかし、明和・安永期の飢饉などで塩田が大被害を受け、藩財政は悪化しました。安永9年(1780年)8月6日、家督を弟で養子の森忠賛に譲って隠居し、天明元年(1781年)に出雲守に遷任しました。天明4年(1784年)1月30日に死去しました。享年33。墓所は東京都港区東麻布の瑠璃光寺にあります。

忠興の治世は短期間であったものの、学問と文化の振興に努め、赤穂藩の文教の発展に寄与しました。その功績は後世にも評価されています。

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