ざっくり簡単解説!浅野長矩とは?
浅野長矩(あさのながのり)は、江戸時代前期の播磨国赤穂藩第3代藩主であり、内匠頭としても知られています。1667年に江戸で浅野長友の長男として生まれ、幼名は又一郎。1675年、わずか9歳で父の死去により家督を継ぎ、藩主として赤穂藩を治めることになりました。藩政では、入浜塩田法の普及や塩田産業の発展を推進し、藩の経済基盤を強化しました。
長矩の名は、元禄14年(1701年)3月14日に江戸城内で起きた「松の廊下刃傷事件」によって広く知られています。この事件で長矩は、礼儀をめぐる争いから高家肝煎の吉良義央に刃傷を加えたことで切腹を命じられ、浅野家は改易されました。この行為は後に有名な「赤穂事件」へと発展し、浅野家の家臣たちによる吉良邸討ち入り(赤穂浪士の討ち入り)を引き起こしました。長矩の切腹により、家は断絶し、赤穂藩の領地も没収されました。
その死後、赤穂浪士たちは主君への忠義を示すべく討ち入りを決行し、長矩の名は忠義の象徴として日本史に深く刻まれています。
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