ざっくり簡単解説!池田輝興とは?
池田輝興(いけだてるおき)は、江戸時代前期の播磨平福藩および赤穂藩の藩主です。1611年に池田輝政の六男として姫路城で生まれ、母は徳川家康の娘・督姫でした。輝興は家康の外孫にあたることから、特別に松平姓を授かりました。1615年、兄の忠継の死去により2万5000石を分与され、幼少ながら平福藩主となりましたが、実際の藩政は家臣によって行われました。
寛永8年(1631年)、兄の池田政綱が嗣子なくして死去し、赤穂藩が一時改易されましたが、家康の外孫としての立場から、輝興が1万石加増の上で赤穂藩主となることを許されました。彼は藩政の安定化を目指し、上水道開発などのインフラ整備に尽力し、これが日本初の水道工事とも言われています。
しかし、正保2年(1645年)、突如として発狂し正室の亀子姫を含む複数の侍女を殺害する事件を起こし、藩は改易されました。その後、輝興は岡山藩主である甥・池田光政に預けられ、岡山で罪人として生涯を閉じました。享年37。
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