ざっくり簡単解説!池田政綱とは?

池田政綱(いけだまさつな)は、江戸時代前期の播磨国赤穂藩初代藩主です。1605年に池田輝政の五男として姫路城で生まれ、母は徳川家康の娘・督姫であったため、家康の外孫にあたります。1611年、家康から松平姓を下賜され、池田家の一員として確立されました。元和元年(1615年)、兄の池田忠継が死去し、その遺領の一部として赤穂郡3万5000石を受けて赤穂藩を立藩しました。

元和9年(1623年)、従五位下・右京大夫に叙任され、寛永3年(1626年)には従四位下に昇進。藩主として赤穂藩の基盤を築く一方、元和4年(1618年)には家臣の不祥事である稲垣平馬事件に直面するなど、政治的な課題にも対応しました。しかし、1631年に27歳で早世。嗣子がいなかったため、赤穂藩は一度無嗣断絶となり、弟の池田輝興が家督を継承しました。

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