ざっくり簡単解説!内藤正勝_(武蔵赤沼藩主)とは?

内藤正勝(ないとうまさかつ)は、江戸時代前期の武蔵国赤沼藩初代藩主です。1643年に内藤政季の長男として生まれ、幼名は平八郎とされました。父の家督を継ぎ、旗本として5000石の知行を有しました。後に幕府で書院番頭や留守居役を務め、その実績が評価され、元禄6年(1693年)に1万石を加増されて赤沼藩を立藩しました。

内藤正勝は赤沼村に居所を置き、藩政に尽力しましたが、翌年の元禄7年(1694年)、大坂定番在職中に大坂で死去。享年52歳でした。藩主としての活動期間は短く、後を長男の内藤正友が継ぎましたが、赤沼藩は後に信濃国岩村田藩へと転封され、その家系は幕末まで続きました。

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