ざっくり簡単解説!松平慶憲とは?
松平慶憲(まつだいらよしのり)は、江戸時代後期から幕末期にかけての播磨国明石藩第9代藩主です。1826年に松平斉韶の長男として誕生し、幼名を濤次郎としました。父が将軍徳川家斉からの養嗣子を受け入れたため、一時は家督を継ぐ立場から外されていましたが、1844年に松平斉宣が急逝したため急遽家督を相続しました。
藩主となった慶憲は、幕末という外圧の時代に対応し、明石海岸に砲台を築き防衛を強化しました。ペリー艦隊来航時には幕府の命で品川警備にあたるなど防衛体制に尽力しました。1866年、第二次長州征討に参加し、翌年には京都警備も担当しましたが、鳥羽・伏見の戦いでは遅参し、新政府軍に城を明け渡しました。戊辰戦争では官軍に付き、藩兵を越後方面へ派兵しました。
1869年に隠居し、家督を長男松平直致に譲った後、1897年に72歳で没しました。幕末の複雑な時代に対応した藩主として、その後の藩の方向性を決定づけた人物です。
- 最終更新日: