ざっくり簡単解説!松平直周とは?
松平直周(まつだいらなおちか)は、江戸時代中期から後期にかけての播磨国明石藩第6代藩主です。1773年に松平直泰の三男として江戸藩邸で生まれ、1786年に兄の松平直之の急死により家督を継ぎました。藩主としての在任期間は約30年間に及び、寛政3年(1791年)には新発田藩主・溝口直侯の妹である春姫と婚姻しました。
直周は財政の悪化と幕府からの指令に苦しむことになります。1796年、濃尾三川の改修工事を幕府より命じられたことで財政が窮乏し、藩は商人からの借財を余儀なくされました。この際、領内の豪商や豪農に対して苗字帯刀を許可することで協力を得ようとしました。さらに寛政12年(1800年)には寛政池を造築し、領民への負担を和らげようと努めました。
直周は1816年に隠居し、家督を次男の松平斉韶に譲り、その後江戸の高輪に移り住みました。文政11年(1828年)、56歳で死去。藩の内政では度重なる困難に見舞われたものの、財政改革や治水事業などに努力を注いだ藩主として評価されます。
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