ざっくり簡単解説!松平直常とは?

松平直常(まつだいら なおつね)は、江戸時代中期の大名で、播磨国明石藩の第2代藩主を務めました。1679年に越前大野藩主・松平直明の長男として生まれ、1701年に父が隠居すると明石藩6万石の藩主として家督を継ぎました。直常は、領内の文化振興や藩校の設立に尽力し、藩儒の梁田蛻巌を招いて学問所「景徳館」を創設するなど、藩士や領民の教育に力を入れました。また、江戸幕府からは大和川の改修工事を命じられ、工事に従事しましたが、財政負担が増大し、藩財政に困難をもたらしました​。

1711年には、朝鮮通信使の接待役に任命され、外交の場で幕府の役割を担いました。享保の大飢饉では、蝗害による農作物の被害が重なり、藩内での対応に追われました。1743年に家督を長男・松平直純に譲って隠居し、翌1744年に66歳で亡くなりました。直常の治世には、教育や外交、藩政の基盤整備に力を尽くしたものの、財政面の苦境に直面したことが特徴です​。

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