ざっくり簡単解説!近藤秀用とは?
近藤秀用(こんどう ひでもち)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、徳川家康に仕えた井伊谷三人衆の一人として知られています。1547年に遠江国で生まれ、父・近藤康用と共に徳川氏に従いました。姉川の戦いや三方ヶ原の戦い、小田原征伐などで活躍し、特に小田原征伐では豊臣秀吉からも賞賛され、武勇の誉れを高めました。
その後、徳川家康から井伊直政の配下に置かれましたが、直政の冷酷さを嫌い、家康の直臣となることを強く望みました。慶長7年(1602年)に直政が死去すると、家康の下で再び召し抱えられ、青柳で5000石を与えられました。さらに1603年には家康の勘気が解かれ、1604年には加増されて小田原城の城番を任されました。
1619年には1万5000石で遠江井伊谷藩の藩主となり、元和5年には2,000石の加増を受けています。晩年には領地を子供たちに分与し、井伊谷藩は一代で廃藩となりましたが、その後も近藤家は旗本として存続しました。1631年、秀用は85歳で亡くなり、勇猛な武将としての生涯を終えました。
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