ざっくり簡単解説!稲葉正休とは?
稲葉正休(いなば まさやす)は、江戸時代前期の美濃国青野藩の藩主で、幕府の要職である若年寄を務めた大名です。1640年に生まれた正休は、徳川綱吉の政権下で重職に就き、治水や藩政で活躍しました。しかし、貞享元年(1684年)、正休は江戸城内で大老の堀田正俊を刺殺する事件を起こしました。この事件は、治水事業での意見対立が原因とも言われ、正俊の暗殺後、正休はその場にいた老中たちによって即座に討ち取られました。事件は江戸城内での刃傷沙汰として幕府内に大きな衝撃を与え、稲葉家は改易となり、青野藩も廃藩されました。
事件に際して、正休は刀鍛冶の名匠・虎徹に特注の刀を作らせ、堀田に確実に一撃を与えるために入念な準備を行っていたと伝えられています。この事件は、後に発生した赤穂事件とも比較され、武士の覚悟を示す例として語り継がれました。正休の行動は多くの議論を巻き起こし、幕府における権力闘争の一端を表しているとされています。
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