1815年-1860年(満45歳没)
井伊直弼(いい なおすけ)は、江戸時代後期の大老で、近江彦根藩の第15代藩主でした。彼は幕末の動乱期において日米修好通商条約に調印し、日本の開国を推進しましたが、国内の反対勢力と激しく対立しました。この対立の中で安政の大獄と呼ばれる弾圧を実施し、尊王攘夷派を厳しく取り締まりました。特に、攘夷を唱える勢力や公家の反発を抑えようとした彼の手法は強権的とされ、後に批判の的となりました。その後、1860年に桜田門外の変で水戸藩浪士らによって暗殺され、その死は幕府の権威に大きな影響を及ぼしました。彼の死後、幕府はより柔軟な外交政策に転換せざるを得なくなり、結果的に幕末の大きな転換点となりました。井伊直弼の政策やその最期は、幕府の衰退と新時代への移行を象徴する出来事として歴史に深く刻まれています。ざっくり簡単解説!松平忠雅とは?
松平忠雅(まつだいらただまさ)は、江戸時代前期から中期に活躍した大名であり、出羽山形藩、備後福山藩、伊勢桑名藩の初代藩主として知られています。1683年に誕生し、父・松平清照の後を継ぎ、10歳で藩主となりました。その後、幾度も転封を経験し、最終的に桑名藩に拠点を移しました。忠雅は、桑名藩で藩校「進脩館」の設立に尽力し、藩の教育制度を基盤から整え、知識の継承に寄与しました。
忠雅はまた、従四位下・左近衛少将の官位を持ち、家柄や地位の高さを表しています。1746年に64歳で死去し、跡を三男の忠刻が継承。忠雅の設立した藩校や改革は、後の世代へと続き、桑名藩の基盤強化に大きな影響を与えました。
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