ざっくり簡単解説!鳥居忠恒とは?

鳥居忠恒(とりい ただつね)(1604年~1636年)は、江戸時代初期の出羽国山形藩第2代藩主で、父の鳥居忠政の後を継いで藩主となりました。しかし、生来の病弱さから幕府の公務にはほとんど関与できず、家臣団内でも家督継承を巡る問題が浮上しました。忠恒は正室・菊との間に子がいなかったため、異母弟の忠春に継がせるのではなく、新庄藩の同母弟である戸沢定盛に家督を託す意思を示しました。

この選択が幕府の規定に反するとされ、幕府の大政参与井伊直孝からの批判を受け、最終的に鳥居家は所領没収という厳しい処分を下されました。しかし、鳥居家の祖父・鳥居元忠の功績が考慮され、弟の忠春は信濃高遠藩3万石を与えられ、鳥居家は存続を許されました。忠恒の決断と幕府の対応は、鳥居家の命運を大きく左右することとなり、その波乱の生涯が歴史に残る結果となりました。

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