ざっくり簡単解説!松平容貞とは?

松平容貞(まつだいらかたさだ)(1720年~1750年)は、江戸時代中期の会津藩第4代藩主で、松平正容の八男として生まれました。1731年に父の死を受けて家督を継ぎ、容貞は若いながらも藩主としての役割を担いました。彼は8代将軍徳川吉宗に謁見し、従四位下や左近衛権少将といった官位を受けるなど、幕府との関係も重視していました。

在任中、1749年には会津で農民の打ち壊しが発生し、年貢の半減を決定して事態を収めました。しかし、在職期間は短く、1750年に容貞は27歳で亡くなり、その後は息子の松平容頌(かたのぶ)が跡を継いで藩主となりました。

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