ざっくり簡単解説!松平正容とは?
松平正容(まつだいらまさかた)(1669年~1731年)は、江戸時代前期から中期にかけての会津藩第3代藩主です。保科正之の六男として生まれ、兄・保科正経の養子として会津藩の家督を継ぎました。正容は1681年、13歳で藩主となり、約50年にわたり藩を治めました。
彼の治世で重要な変革として、1696年に「松平」姓と徳川家の三つ葉葵の紋を許され、会津松平家が徳川家との強い結びつきを示すこととなりました。また、正容は会津藩内での衛生向上に尽力し、御薬園の改修を行い薬草栽培を奨励しました。さらに庭園を整備し、大名庭園として会津藩の文化的価値を高めました。
家族内では側室とのトラブルが頻発し、特に側室「おもんの方」との間で大きな混乱が起こり、最終的に彼女は幽閉されることとなりました。家督は、正容の子のうち長男と三男が早世したため、八男の松平容貞が継承しました。
- 最終更新日: