ざっくり簡単解説!蒲生秀行とは?
蒲生秀行(1583年~1612年)は、会津藩主として名高い武将であり、父の蒲生氏郷の跡を継ぎ、わずか13歳で会津92万石を相続しました。秀行は、父の死後、家中の対立や重臣の不和が原因で豊臣秀吉の命令により宇都宮に18万石へ減封されました。しかし、1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康に従った功績から、再び会津60万石に返り咲き、会津藩主としての役割を果たしました。
会津では、城下町の鶴ヶ城の整備や商業の発展を推進し、藩政に力を入れましたが、度重なる天災や干ばつにより領地経営に苦しみました。また、家中の不和や相次ぐ内紛が続く中で心労に倒れ、1612年、30歳の若さで亡くなりました。その後、会津藩は家中の不和と家督相続問題が続き、蒲生家は領地を失いました。
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