ざっくり簡単解説!対馬府中藩とは?

対馬府中藩(つしまふちゅうはん)は、江戸時代対馬国(現在の長崎県対馬市)に存在した藩で、別名厳原藩(いづはらはん)とも呼ばれています。藩の成立は慶長5年(1600年)で、初代藩主は宗義智(そう よしとも)です。藩は対馬全域と肥前国の一部を治め、最初は2万石格でしたが、幕府から国主としての地位を認められ、10万石格とされました​。

対馬府中藩は、特に朝鮮との貿易や外交において重要な役割を果たしました。藩主は朝鮮通信使を迎え入れ、日朝貿易を行うための倭館を釜山に設置しました。この貿易は藩の財政を支える重要な収入源となり、地域経済の発展に寄与しました。

また、藩政においては、幕末期に朝鮮との外交を強化し、藩内の安定を図る努力が行われました。藩主は3年ごとに江戸に出仕し、幕府に対する忠誠を示しました。しかし、明治維新後の1871年に廃藩置県が実施され、対馬府中藩は消滅しました。藩主はその後、厳原藩に改称され、最終的には厳原県となり、後に長崎県に編入されました。

対馬府中藩の歴史は、対馬の地域文化や外交関係に深く根付いており、現在でもその名残を見ることができます。

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