1623年-1871年(廃藩置県まで)
本荘藩(ほんじょうはん)は、江戸時代に出羽国由利郡本荘(現在の秋田県由利本荘市)を中心に存在した外様藩で、藩庁は本荘城に置かれました。初代藩主六郷政乗は、戦国時代に出羽国山本郡六郷を支配する国人領主で、仙北七人衆の一に数えられていました。関ヶ原の戦いで東軍に与し、その功績により常陸国新治郡府中に1万石を与えられました。1623年、最上氏の改易に伴い、出羽国本荘に2万石で加増移封され、本荘藩が立藩されました。以降、六郷氏が11代にわたり藩主を務めました。藩校として修身館を設立し、人材育成に努めました。幕末の戊辰戦争では、当初奥羽越列藩同盟に参加しましたが、久保田藩の呼びかけですぐに脱退し、新政府軍に与して庄内藩と戦いました。1871年の廃藩置県により本荘藩は廃止され、その領地は秋田県に編入されました。ざっくり簡単解説!鹿島藩とは?
鹿島藩(かしまはん)は、江戸時代に肥前国(現在の佐賀県鹿島市)に存在した藩で、佐賀藩の支藩として設立されました。藩の成立は慶長16年(1610年)で、初代藩主は鍋島忠茂です。忠茂は佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の弟であり、2万5000石の領地を与えられ、常広城を拠点に藩政を開始しました。
鹿島藩は、その後も鍋島家が代々藩主を務め、藩の経済は主に農業を基盤としていました。米作が盛んで、地域の特産品の生産が奨励されました。藩政においては、藩主が地域の文化や教育に力を入れ、藩校の設立や農業改革が行われました。
幕末期には、藩主の鍋島直彜(なおよし)が新政府軍に従い、戊辰戦争においても明治政府を支持しました。1871年の廃藩置県により鹿島藩は消滅しましたが、鍋島家はその後も明治時代を通じて続き、地域の文化や伝統に深い影響を与えました。
鹿島藩は、佐賀藩との関係が深く、地域の発展において重要な役割を果たしました。その名残は現在の鹿島市にも見ることができます。
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