1660年-1871年(廃藩置県まで)
一関藩(いちのせきはん)は、江戸時代に陸奥国磐井郡一関(現在の岩手県一関市)を中心に存在した外様藩で、藩庁は一関陣屋に置かれました。初代藩主は仙台藩初代藩主・伊達政宗の十男である伊達宗勝で、1660年に3万石を与えられ立藩しました。しかし、1671年の伊達騒動(寛文事件)により宗勝は失脚し、一関藩は一時廃藩となりました。その後、1681年に田村宗良の子である田村建顕が3万石で入封し、再び一関藩が立藩されました。以降、田村氏が11代にわたり藩主を務めました。幕末の戊辰戦争では、仙台藩に従い奥羽越列藩同盟に参加しましたが、最終的に新政府軍に降伏しました。1871年の廃藩置県により一関藩は廃止され、その領地は一関県を経て岩手県に編入されました。ざっくり簡単解説!津山藩とは?
津山藩(つやまはん)は、江戸時代に存在した藩で、美作国(現在の岡山県津山市)を中心に領有していました。藩の設立は慶長8年(1603年)で、初代藩主は森忠政です。忠政は織田信長に仕えた武将で、津山城を築城し、城下町の整備を行いました。津山藩は当初、18万6500石の石高を持っていました。
森家は5代にわたって藩主を務めた後、藩は松平家に引き継がれます。松平家は1698年から1871年まで藩主を務め、藩の石高は10万石に変動しました。特に、藩主松平康長の時代には藩政が安定し、教育や文化の振興に力を入れました。
幕末期には尊王攘夷派と佐幕派の対立が藩内で激化し、特に農民一揆が頻発しました。最終的に津山藩は明治4年(1871年)の廃藩置県により消滅し、地域は岡山県に編入されました。津山藩の歴史は、地域の政治や文化に大きな影響を与え、今でも津山城や城下町は観光名所として親しまれています。
- 最終更新日: