ざっくり簡単解説!郡山藩とは?

郡山藩(こおりやまはん)は、江戸時代に存在した藩で、現在の奈良県大和郡山市に位置していました。この藩は、元和元年(1615年)に設立され、初代藩主は水野勝成で、当初は6万石で入封しました。その後、藩主は松平家や本多家などに交代し、特に本多政勝の時代には、藩の石高は15万石に達しました​。

郡山藩は、郡山城を中心に治められ、藩の経済は農業を基盤としていました。藩主は治世の安定を図り、文教政策にも力を入れました。また、藩内では藩校が設置され、学問や文化の発展が促進されました。

しかし、藩の歴史は波乱に満ちており、政勝の後を継いだ政長は、家臣の陰謀によって毒殺され、政利との争いが勃発しました。この争いは「九・六騒動」として知られています。その後、藩主は松平信之や本多忠平に交代し、最終的には柳沢家が藩主となりました。彼らは藩の安定を図り、禁裏の守護なども行いました​。

明治4年(1871年)に廃藩置県が実施され、郡山藩は消滅しましたが、その歴史と文化は地域に深く根付いています。

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