1809年-1871年(廃藩置県まで)
黒石藩(くろいしはん)は、江戸時代後期に陸奥国津軽郡黒石(現在の青森県黒石市)を中心に存在した外様藩で、藩庁は黒石陣屋に置かれました。黒石藩の起源は、1656年(明暦2年)に弘前藩4代藩主津軽信政が幼少であったため、叔父の津軽信英が後見人として黒石領5,000石を分与されたことに始まります。その後、1809年(文化6年)に8代当主津軽親足の代に本家である弘前藩から6,000石が加増され、1万石の大名として正式に立藩しました。幕末の戊辰戦争では、本家の弘前藩と共に新政府軍に協力し、南部藩との野辺地戦争に参加しました。1871年(明治4年)の廃藩置県により黒石藩は廃止され、その領地は黒石県となり、後に弘前県を経て青森県に編入されました。ざっくり簡単解説!青野藩とは?
青野藩(あおのはん)は、江戸時代前期に美濃国不破郡青野(現在の岐阜県大垣市青野町)に存在した短命の藩です。藩は1682年に成立し、初代藩主は稲葉正休で、1万2千石の石高を持っていました。正休は若年寄に就任し、大名として認められました。
しかし、藩の運命は急転直下、1684年に江戸城内で大老の堀田正俊を刺殺したことで、正休自身も殺され、藩は改易されました。この事件によって稲葉家は絶家となり、青野藩も廃藩となりました。
藩の廃藩後、青野村は幕府領となり、その後は大垣藩の預かり地となりました。藩主であった稲葉正休は、農業に関心を持ち、村々の水利施設の整備を行い、地域の発展に寄与したとされています。
青野藩の短い歴史は、稲葉家の名声とともに、江戸時代の政治的な動乱を象徴するものとなっています。
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