ざっくり簡単解説!西端藩とは?

西端藩(にしばたはん)は、江戸時代三河国(現在の愛知県碧南市)に存在した藩で、藩庁は西端陣屋に置かれていました。この藩は、元治元年(1864年)に設立され、初代藩主は本多忠寛でした。もともと本多家は9000石の旗本でしたが、忠寛が様々な軍事行動に参加した結果、石高が見直されて1万500石の大名となりました。

藩の領地は主に三河国内にあり、また他の国にも知行地を有していました。藩は定府であり、藩主は江戸に居住するスタイルをとっていました。藩主の交替はありましたが、藩の歴史は短く、特に明治維新の動乱期において、忠寛の後を継いだ忠鵬は新政府に恭順を示し、版籍奉還を経て藩知事に任命されました。

西端藩は1871年の廃藩置県により消滅し、その後は西端県、額田県を経て愛知県に編入されました。この藩の歴史は短命でしたが、立藩の際に軍事的な功績を背景にしていた点が特徴的です。また、本多家の家紋は「花立ち葵」で、徳川家の象徴でもありました。

江戸時代の関連記事