ざっくり簡単解説!下総山川藩とは?

下総山川藩(しもうさやまかわはん)は、江戸時代前期に下総国結城郡(現在の茨城県結城市)に位置し、主に徳川家に近い水野家が支配しました。初代藩主水野忠元(みずのただもと)は、徳川家康の従弟であり、1616年に3万石で山川藩を立藩し、山川城(山川綾戸城とも)を拠点としました。忠元は藩の基礎を固めるべく、山川城の整備と城下町の建設に尽力しました。

忠元の死後、幼少の嫡男水野忠善が家督を継ぎ、後見人として徳川幕府が支援しました。藩主としても幕府の役職を担った忠善は、最終的に1万石を加増され、駿河田中藩へと転封されることとなり、1635年に山川藩は廃藩となりました。忠元や水野家の墓所は現在も万松寺跡地に残されており、地域の歴史遺産として保存されています。

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