ざっくり簡単解説!大多喜藩とは?

大多喜藩(おおたきはん)は、上総国(現在の千葉県夷隅郡大多喜町)に位置した藩で、徳川四天王の一人、本多忠勝が1590年に10万石で入封したのが始まりです。忠勝は大多喜城を藩庁として整備し、藩政の基盤を築きました。その後、本多家が伊勢桑名へ移封され、大多喜藩は阿部家や青山家など複数の家によって治められましたが、藩主が頻繁に交代する時期が続きました。

江戸中期からは、大河内松平家が2万石で統治を引き継ぎ、幕末まで藩主を務めました。大河内家時代には藩校「明善堂」を設立するなど、教育にも力を入れました。幕末には最後の藩主・松平正質が旧幕府側として鳥羽・伏見の戦いに参加しましたが、戦後は迅速に新政府に恭順を示し、大多喜藩は存続が許されました。1871年の廃藩置県により大多喜藩は廃止され、後に千葉県へ編入されました。

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