ざっくり簡単解説!下野山川藩とは?
下野山川藩(しもつけやまかわはん)は、江戸時代初期に現在の栃木県足利市山川町で短期間存在した藩で、1635年に太田資宗が立藩しました。資宗は徳川家光に仕え、「六人衆」の一人として側近を務めていたため、幕府から5600石を与えられた旗本から1万5600石の大名へと昇進し、山川藩を治めることになりました。
1637年に発生した島原の乱では、資宗は幕府の命令を伝える役割を担い、江戸と九州を往来しました。乱の後は戦後処理の任務に従事し、九州小倉城で諸大名に上意を伝達する重要な役割を果たしました。しかし、1638年に資宗は三河国西尾藩に転封となり、これに伴い下野山川藩は廃藩となりました。
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