ざっくり簡単解説!山名宗全とは?

山名宗全(やまな そうぜん)は、室町時代後期の有力大名であり、応仁の乱で西軍の総大将として知られた武将です。彼の本名は山名持豊で、宗全は出家後の法号です。山名氏は多くの領地を持ち、「六分一殿」と称されるほどの権勢を誇りました。

宗全は、8代将軍足利義政の後継者争いにおいて、足利義視を支持し、対立する細川勝元率いる東軍と対峙しました。この争いが、1467年に発生した応仁の乱の直接的な原因となりました。宗全は西軍の総大将として、京都を舞台に細川勝元率いる東軍と激しい戦闘を繰り広げました。

応仁の乱は10年にわたり続きましたが、決着がつかないまま終息し、結果的に室町幕府の権威を大きく弱体化させました。宗全は戦争中に病死し、その死後も乱は続きましたが、彼の行動は戦国時代の幕開けを象徴するものとなりました。

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