823年 - 1871年(廃藩置県まで)
加賀国(かがのくに)は、かつて日本の令制国の一つで、北陸道に属し、現在の石川県南部に相当します。823年(弘仁14年)、越前国から加賀郡と江沼郡を分割して設置されました。国府は現在の小松市に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は白山比咩神社(白山市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。加賀国は、日本海に面し、肥沃な平野と豊富な水資源を有し、農業や漁業が盛んでした。中世には一向一揆が発生し、約100年間にわたり自治的な支配が続きました。江戸時代には加賀藩(前田氏)が統治し、金沢城を中心に城下町が発展しました。1871年の廃藩置県により石川県に編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。ざっくり簡単解説!筑後国とは?
7世紀末 – 1871年(廃藩置県まで)
筑後国(ちくごのくに)は、かつて日本の令制国の一つで、西海道に属し、現在の福岡県南部に相当します。7世紀末までに、筑紫国が筑前国と筑後国に分割されて成立しました。国府は現在の久留米市に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は高良大社(久留米市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。筑後国は筑後川や矢部川によって形成された肥沃な筑後平野を有し、農業が盛んでした。また、江戸時代には久留米藩や柳河藩などが置かれ、特に久留米藩は有馬氏が統治し、久留米絣などの伝統工芸が発展しました。1871年の廃藩置県により福岡県に編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。
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