ざっくり簡単解説!越後国とは?
7世紀末 – 1871年(廃藩置県まで)
越後国(えちごのくに)は、かつて日本の令制国の一つで、現在の新潟県本州部分に相当し、北陸道に属していました。7世紀末、越国(こしのくに)の磐船(いわふね)・渟足(ぬたり)の二郡の分割によって成立しました。当初の領域は、現在の新潟県本州部分の北部から山形県庄内、秋田県方面で、日本海側で蝦夷の領域に接する辺境国でした。大宝2年(702年)3月に、越中国から頸城郡、古志郡、魚沼郡、蒲原郡の四郡を譲り受け、和銅元年(708年)には北に領域を伸ばして出羽郡を新設し、七郡体制となりました。しかし、和銅5年(712年)9月23日に出羽郡が出羽国として分離し、越後国は現在の新潟県本州部分にほぼ相当する領域となりました。国府は現在の上越市に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。また、戦国時代には上杉謙信が統治し、越後の龍と称されるなど、軍事的にも重要な地域でした。江戸時代には高田藩や長岡藩などが置かれ、幕末までその体制が続きました。1871年の廃藩置県により新潟県に編入され、現在も歴史的遺産や文化が多く残り、観光地としても親しまれています。
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