7世紀後半 - 1871年(廃藩置県まで)
但馬国(たじまのくに)は、現在の兵庫県北部、但馬地域を領域とした令制国で、山陰道に属していました。7世紀後半に設置され、国府は現在の豊岡市日高町に置かれました。一宮は出石神社(豊岡市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。但馬国は日本海に面し、円山川などの豊かな水系を有し、農業や漁業が盛んでした。また、城崎温泉や湯村温泉などの温泉地も多く、古くから湯治場として親しまれてきました。江戸時代には出石藩や豊岡藩などが置かれ、幕末までその体制が続きました。1871年の廃藩置県により兵庫県に編入され、現在も歴史的遺産や自然景観が多く残り、観光地としても親しまれています。ざっくり簡単解説!相模国とは?
683年 – 1871年(廃藩置県まで)
相模国(さがみのくに)は、現在の神奈川県中部および東部を領域とした令制国で、東海道に属していました。683年(天武天皇12年)に設置され、古代から中世にかけて武蔵国と共に関東地方の要地として発展しました。国府は現在の大磯町付近に置かれ、大山阿夫利神社や鎌倉大仏など多くの寺社が栄え、宗教的にも重要な地域でした。鎌倉時代には鎌倉幕府が置かれ、源頼朝による武士政権の中心地として大きな歴史的役割を果たしました。江戸時代には幕府の直轄領や旗本領が多く配置され、経済的にも発展を遂げました。1871年の廃藩置県により神奈川県の一部となり、現在も多くの歴史的遺産が残り、観光地としても人気があります。
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