716年 - 1871年(廃藩置県まで)
和泉国(いずみのくに)は、現在の大阪府南西部、堺市を中心とした地域を領域とした令制国で、南海道に属していました。716年(霊亀2年)に河内国から分割されて設置され、当初より経済や交通の要地として発展しました。国府は和泉市周辺に置かれ、また、堺は戦国時代から江戸時代にかけて自由都市として繁栄し、特に貿易や鉄砲の生産で知られました。和泉国はまた、古くから信仰の地でもあり、泉南地域には多くの寺社が点在しています。江戸時代には幕府の直轄領や岸和田藩が支配し、廃藩置県までその体制が続きました。1871年の廃藩置県により大阪府に編入され、現在も堺市をはじめとする地域は歴史的・文化的な魅力を持ち、多くの観光客が訪れています。ざっくり簡単解説!因幡国とは?
7世紀 – 1871年(廃藩置県まで)
因幡国(いなばのくに)は、現在の鳥取県東部を領域とした令制国で、山陰道に属していました。国府は法美郡(現在の鳥取市国府町中郷)に置かれ、因幡国庁跡としてその遺構が確認されています。一宮は宇倍神社(鳥取市)で、古代から信仰の中心地として栄えました。因幡国は日本海に面し、千代川流域の肥沃な平野を有し、農業や漁業が盛んでした。また、古事記や日本書紀に登場する「因幡の白兎」の伝説でも知られています。戦国時代には山名氏や武田氏が支配し、後に羽柴秀吉の勢力下に入りました。江戸時代には鳥取藩の一部として池田氏が統治し、廃藩置県までその体制が続きました。1871年の廃藩置県により鳥取県に編入され、現在も歴史的遺産や自然景観が多く残り、観光地としても親しまれています。
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