7世紀末 - 1871年(廃藩置県まで)
肥後国(ひごのくに)は、現在の熊本県全域を領域とした令制国で、西海道に属していました。元々は肥前国と合わせて「火国(ひのくに)」と称されていましたが、7世紀末に分割され、肥後国が成立しました。国府は現在の熊本市に置かれ、国分寺も同地に建立されました。一宮は阿蘇神社(阿蘇市)とされ、古代から信仰の中心地として栄えました。肥後国は阿蘇山を中心とした火山地帯で、肥沃な土地を有し、農業や畜産業が盛んでした。また、天草諸島を含み、海上交通の要衝としても重要な役割を果たしました。戦国時代には加藤清正が統治し、熊本城を築城して城下町を発展させました。江戸時代には熊本藩が置かれ、細川氏が統治し、幕末までその体制が続きました。1871年の廃藩置県により熊本県に編入され、現在も歴史的遺産や自然景観が多く残り、観光地としても親しまれています。ざっくり簡単解説!南鳥島とは?
南鳥島(みなみとりしま)は、東京都小笠原村に属する、日本最東端の島です。太平洋に浮かぶこの孤島は、本土から約1,850km離れた場所にあり、面積は約1.2平方キロメートルと小規模です。1880年代に日本領となり、戦略的にも重要な拠点とされました。
島の周辺には、レアアースなどの資源が豊富に存在するとされ、近年はその価値が注目されています。また、南鳥島は気象観測や海洋観測の基地としても重要な役割を果たしています。
無人島ですが、自衛隊が駐留しており、領海保全や周辺海域の安全確保が行われています。
- 最終更新日: